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堀江しのぶ ド迫力ボイン巨乳ボディが哀悼心でそり立たせる おっぱいハイレグ画像

category - グラビア
2016/ 10/ 04
                 
ほりえ しのぶ
堀江 しのぶ
プロフィール
別名義 堀部 しのぶ(本名)
生年月日 1965年8月18日
没年月日 1988年9月13日
没年齢 23歳(数え24)
出身地 愛知県西春日井郡西枇杷島町
血液型 A型
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 162 cm / 48 kg
BMI 18.3
スリーサイズ 89 - 59 - 90 cm
カップサイズ E
image.jpg 
堀江は自ら「もう少し細くなりたい」とダイエットを試みるも1988年の始め頃から腹痛や食欲不振などの体調不良を訴え同年4月8日に東京都内の病院に診察後、翌4月9日に緊急入院した(当初の病名は「卵巣のう腫」と発表された)。ところが入院時には、堀江は既にスキルス性胃癌が卵巣にまで転移、さらに6Lもの腹水が溜まって癌性腹膜炎も併発したため、末期がんの状態で手の付けられない状態だったという。
堀江はその後、一旦は病状が回復し名古屋市南区の中京病院に転院したが1988年9月13日午前4時28分、スキルス性胃癌のため23歳という若さで逝去した。戒名は「麗光貞忍大姉」。一部週刊誌が重病説を報道していたものの、堀江の所属するイエローキャブの野田義治社長や家族の意向もあり、堀江本人には本当の病名は最後まで告知はしなかった。

 現在はグラビアアイドルというジャンルが当たり前にあるが、以前はグラビアをメインとするアイドルはほぼ存在しなかった。そんなグラビアアイドルの先駆者となったのが堀江しのぶである。これまでは、アイドル歌手などが雑誌のグラビアに登場することが多かったが、堀江は歌うこともなく、最初から水着で勝負をするアイドルとしてスタートを切っていったのだ。

 当時の堀江が所属していた事務所は野田義治氏のイエローキャブである。1990年代には巨乳グラドルの事務所として有名になったが、その先駆けとなったのが堀江である。この頃の雑誌のグラビアでは、大きな胸を武器にたくさん掲載されていたが、仕事の中心は雑誌が主なので、動いている堀江を見れる機会があまりなかったのが現実だ。

 そんな気持ちの人が多かったことから85年1月からスタートしたドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)への出演が決まった。主演の中山美穂のパンチラやセクシーなシーンが話題になり、当時の中高生男子の間では大人気のドラマだった。そのドラマに堀江が出演することになったのだが、堀江の役どころは、メインキャストの友達のお姉さんだった。なぜか毎週のようにお風呂上がりにバスタオルを体に巻いているだけの姿で出演するのだが、時には巻いているタオルがズレ落ちたりして、こぼれそうな胸が見えそうなシーンも続出で、このシーンを見るための視聴者も多かったことだろう。私もこのシーンを見て堀江が気になる存在になった口なのだが、実際に会いに行くとなると、これまでのアイドル歌手などのように公開番組や新曲発表イベントなどが無いので、堀江に会うことは難しいと思っていた。

 そんなことを考えている矢先に、ある日TBSの玄関前で誰だったか覚えていないが、アイドルの出待ちをしていたところ、玄関から派手なピンクの服を着ている堀江が出てきたのだ。胸元を見てすぐに堀江だと確信した私は、真っ先に近寄って話しかけてみることにした。もちろん隣にマネージャーはいたのだが、気軽に写真も撮らせてくれて、サインまで書いてくれた。優しいお姉さんという印象だった。

 この頃からバラエティ番組を中心にドラマなどにも多く出演するようになり、いわゆるバラドル的な存在で人気も上昇した。しかし、活動がアイドル歌手では無かったこともあり、この先に会うことは難しい存在だと思っていた。しかしある日に奇跡が起きた。

 私が川崎駅の地下街のアゼリアというところを歩いていたら、何とそこに堀江がいたのです。たしか87年12月頃で、すごい寒い日だった。当時の堀江はドラマ『男女7人秋物語』(TBS系)にレギュラー出演していて、ドラマの舞台が川崎だったこともあり、その撮影で来ていたのだ。この時は撮影中だったこともあり、話しかけることも出来ないで、しばらく撮影を見学していた程度だが、自分の中ですごい嬉しさが込み上げてきた。

 しかし、この日を最後に私は堀江と二度と会うことは無くなってしまった。この撮影の翌年早々に体調不良となり入院してしまったのだ。スキルス性の胃がんと診断され、1988年9月13日に23歳の若さでこの世を去ってしまった。

 約4年の芸能活動しかしていないが、その4年の密度は誰よりも濃く、グラビアアイドルの時代でもないのに、水着写真集を9冊も発売し、今では当たり前のように存在するグラビアアイドルの道を切り開いてくれた。後に事務所の後輩になる、かとうれいこや細川ふみえがトップグラドルになったのだが、これも堀江がいたからこそである。亡くなってから27年の月日が経っているが、堀江の存在は今でもグラビア界では大きな影響があるのではないかと思う。
http://npn.co.jp/article/detail/07812562/